『たそがれたかこ』の話
入江喜和先生の「たそがれたかこ」という漫画が大変良かったのでその感想を書きます。
主人公の片岡隆子は45歳バツイチの女性で、アパートの大家をしている母と二人暮しをしています。日中は食堂でサラダなんかを作るパートに出ていて、家に帰ってからは老いてボケかけた母の世話や家事をこなしています。
たかこは幼い頃から人付き合いが苦手で、高校生の頃には友達がうまくできず不登校になってしまったという過去を抱えていて、45歳になった今もその本質は変わっていなくて、数年務めているパート先でもうまく同僚と馴染めずにいます。職場ではただ仕事の疲労が溜まっていくばかりで、家庭では耳が遠くなりボケかけた母との会話に煩わしさを感じ、彼女の生活には明るく息抜きするような時間が、あまりありません。
休みの日に近所の子供と楽しそうに遊んでいるときにも、離婚後別居している娘のことが脳裏をよぎったり、母との会話には苛立ちが募るばかりで、楽しさがくすんでいるように思えます。
その生活の中で募った負の感情は、時々彼女の中から溢れ出てきます。
人とうまく話すことができない。趣味を分かち合うような関係も持っていない。唯一関わりのあった夫とは不和が生じて離婚してしまい、仲の良かった娘とも離れ離れになってしまった。今自分を苦しめている問題のすべての原因が自分の性格に由来しているということを、たかこさんは自覚しています。そこで若者のように嘆き苦しむわけでもなく、どこか諦めが混じったようなけだるい表情でお酒を飲みながら、ただその悲しさを噛みしめています。
45年という人生を経て、彼女はすでにそのことについて悩み尽くしているのだと思います。問題の本質も、解決するには何をすればいいのか、それを自分が実現できるかどうかということも全て考え尽くしてしまっているがゆえに、彼女は何もできずにただその悲しさを受け入れています。そしてその許容量が時々オーバーしてしまう時があって、その時には無防備になってやられてしまう。
この第一話の内容がとても好きです。
たか子はこのあと、ジゴロまがいの創作居酒屋主人と出会い、またふとした時に聞いたラヂオパーソナリティーにときめいてしまったりして、少しずつ自分を変えていくことを決心します。二巻の表紙を見るとわかるのですが、髪を茶色に染めてaikoみたいな見た目になり、明るい人間になっていきます。
中年女性が第二の青春を謳歌すべく自分を変えていくストーリーとしていろんな世代から共感を受けているそうなのですが、共感とはまた違う楽しさがあるように感じています。そんな感じのことを以下、書きます。
たかこという大人に抱く安心感と、大人に抱く恐怖
たか子の「人付き合いが苦手」という欠陥は、世代を問わず多くの人間が抱えている悩みであって、たかこが誰かと話す時のモノローグであったり、目線を合わせられず手遊びをする仕草であったり、悲しみが吹き出してしまうシーンに共感を覚えます。しかしそれ以上に、自分と同じような悩みを20近く年上の人間が抱いているということに、共感とは違う何か別の感情を抱くのです。とても失礼な物言いになるのだけれど、45歳の大人が、大人なりたての未熟な自分と同じ悩みを抱えているということに、よくわからない安心感を抱いてしまいます。
また一方で、たかこ以外の中年以上の大人に対して、少し恐ろしさのようなものを感じます。たかこを取り巻く環境を見てみると、自分と同世代の人間は皆中年で、デジモンで言えば成熟期のようなどっしり安定感のある生物ばかりになるわけです。中年の大人が若者と違ってすごいなと思うのは、彼らは確固たる自信を持って正論を言えるのです。付き合いが苦手だとか、うまく目を見て話せないとか、そんな悩みを抱えて生きている人間は中年世代にはほとんどいなくて、人生の何処かのタイミングで乗り越えてしまっていたり元からそんな悩みを持っていなかったりする人間が、中年として生き残っているのです。
そんな中に一人、不完全で未成熟な悩みを抱えた状態で生きていくのは、とても恐ろしいことだと感じます。自分が中年になったら、同年代の人間がみんなそういう感じになってしまうのだろう。その時までに若者じみた悩みを解決できずにいたら、誰にそれをわかってもらえばいいのか、周りの人間はすでに解決してゆうゆうと自信を持って生きていて、自分とは全く違う考え方で生きているのではないか、そう思うととても恐い。
そのことを強く感じたのは、たかこの娘・一花が拒食症・不登校という若者らしい精神の悩みを併発してたかこの家にやってきたシーンです。一花は母と違ってスラリと背が高く、中学三年生にして大学生ぐらいに見える大人びた娘で、年柄に合わぬ達観した精神を持つ強い娘として登場しました。しかし物語が進み、たかこの元夫、一花の父が再婚したことを機に少しずつ精神が不安定になり、父の家からたかこの家へと飛び出してしまいます。髪を金髪にし、学校にも行かず、カロリーを取ることすら拒否するようになった一花に対して、たかこ・元夫・老母はどう接していいのか悩みます。
たかこはかつて自分も同じような症状になったことがあり、一花の心情を察してできるだけ無理強いをせず、ただ一花に少しでも楽しく生活してもらえるように、少しずつ前進してくれるよう優しく促します。直接的解決をしようとはやる元夫をなだめすかしてこっそり病院に行ったり、無理に食事を与えようとする老母から一花を遠ざけたりします。元夫は一花の社会的復帰を考えて別の学校に通わせるべきだとか、髪を黒に戻させろだとか、あまり一花の抱える精神の問題に口を出そうとしません。老母は、一花の肉体的衰弱を心配してことあるごとに食べ物を勧めます。美味しいものを進めれば食べてもらえるだろうと信じてやまない母は、一花がなぜ食べ物を拒んでいるのかが全く理解できず、ただひたすら食べ物を勧め、悪気なく一花の心に踏み込んでしまいます。
元夫と母の行為は全く真っ当であって決して間違ったことをしているわけではありません。しかし、彼らの提示する解決策はあまりにも真っ当であるがゆえに、それができない人間の心を無遠慮にえぐることになります。年月を重ね確固たる持論が生まれてしまっている中年以上の人間が提示する、反論しようのない全くの正論に、何か非を抱えている人間は太刀打ちができない。ただただ自分が間違っていてダメな状態にあることを思い知らされるばかりで、わかっていても真っ当な方法には手が出せなくて二倍苦しむようになる。
大人の正論の中に引きずり出されて震える一花を安心させようと、ぬるい意見を提案するたかこですが、その気遣いがかえって一花の気持ちを逆なでし、一花は親戚の家に移ることになってしまいます。たかこなりに、一花を元の健康な一花に戻してやりたいと考えに考えた策だとは思うのですが、それもうまく行かない。自分がどういう考えで一花と接しようとしているのか、周囲の大人たちは自分と違う健康的な正論を備えていて、考えを理解してくれる人もいない。
いつかたかこのように、周囲に正論が渦巻くようになって、心を逃がす隙を設けたぬるい意見や、あえて間違いには触れずに流すようなゆとり感覚が許されない年代になってしまったときにちゃんとすることができるのだろうか、非常に恐ろしく感じます。
自らも大人になろうと苦しみながらも、大人のような役割を果たそうと努力しているたかこの姿に心打たれたり安心したり怖くなったりと、共感とは違うなんとも整理のつかない感情が流れ込んでくる、「たそがれたかこ」は大変味わい深い漫画です。
私はたかこという中年の主人公に対する共感ではない何かにやられてしまったのでした。それ以外にも居酒屋主人とのやりとりとか、たかこと同じバンドが好きな少年との絡みであったり、好きなバンドのライブビデオを見て大いにはしゃぐたかこさんの様子だったり、心の和む場面はたくさんあって、読んでて気持ちがよくなる漫画です。