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しろうのブログ

フィクションの話

『リュウマのガゴウ』:現在ありきの過去の話

 

現在を起点に進んでいた物語の時系列がどこかのタイミングで過去へと切り替わり、主人公や物語世界の昔話が始まる展開がとても好きです。
 
るろうに剣心の人誅編であったり、ワンピースの主要キャラクターの生い立ち、ファンタジックチルドレンの惑星ギリシアの悲劇とか、月光条例のチルチルとミチルの話も、ぼくの地球を守っての前世の話など…登場人物たちがいかにして現在の彼らとなったのかが解明される、過去の物語にはミステリーの解決編的な興奮があります。
 
しかし過去の物語というのは単なる過去の解明という謎解き要素だけではなく、過去のある期間という時間制限の中で、既に確定してしまった歴史として語られることにも、面白さの要因がある気がするのです。
 

 

リュウマのガゴウ』の時系列順序について

リュウマのガゴウ (1) (ヤングキングコミックス)

 

 

リュウマのガゴウ」という漫画は、人間に対して明確な殺意を示し捕食する上位生物「白皮」が大量発生し、地殻の変動や異常気象によって人間が生きることが難しくなった世界で、民衆のなかで真しやかに語り継がれる災厄をもたらすもの「ジン」と救世主「リュウマ」の伝説、救世主「リュウマ」の名をかたり白皮と戦う人間たちのお話です。
 

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救世主「リュウマ」を自称し化け物から人々を守るために戦う勇者たちの継承の歴史であり、なかにはその責務を果たせず志半ばで倒れていった名無しの戦士や、雅号の重さ、凶悪さを増す化け物に恐れをなして逃げ出してしまう人間まで、古今東西様々な「リュウマ」が登場します。
 

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この漫画は時系列の進行がなかなか複雑で、ひとつの大きな歴史のなかで、過去a点でのキャラαのストーリーを語った後に大過去b点でのキャラαとβの話、その後現在c点でのキャラγの話を進めたあとに、小過去d点でのαとγの話のように、複数のキャラクターの過去と現在がいりまじって、少しずついろんなことが解明されていく大変面白い漫画です。
 
1巻では救世主「リュウマ」の名を語る勇者たちの新旧オムニバスな話が続きます。狩られる側に回った人類にとっての救世の存在として、各地に出没する自称「リュウマ」たち、彼らの活躍がまた伝説の信憑性を色濃く強めていき、さらに継承されていきます。
 
2巻の頭には「リュウマ」にまつわる古い歴史がちょこっとだけ紹介されます。「リュウマ」と「ジン」は過去に実在した人物であり、伝説は真実から生まれたものであることがわかります。しかしここでは多くの情報は語られず、物語に今昔の幅があることを匂わせてきます。
 

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3巻以降は1~2巻での戦いのあと生き延びたキャラクターたちが再登場して物語が進んでいき、6巻まで人類と白皮の大きな戦いが繰り広げられます。
 
そして6巻では一気に1巻以前の時代へと遡り「リュウマ」のもっとも古い歴史、2巻の冒頭でちらっと紹介されたシーンへと続く「リュウマ」と「ジン」の始まりの物語が語られます。そこで今まで世界の常識として当たられていてリュウマ伝説の、2巻の初めにちらっと見せられていた、悲劇的な結末を迎える初代リュウマの過去の物語がようやく明かされるのです。
 

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この、読者にとって全く馴染みの無い「リュウマ」という救世主の伝説について何の前提知識も与えられないままに物語が始まり、その伝説がようやく読者の中にも馴染み概念として定着してきたところで、「リュウマ」の起源となる悲劇が語られ、解明されていく。この展開がたまらなく好きでとても楽しく漫画を読みました。
 
 

 

現在が過去を確定事項へと固める 

リュウマのガゴウ」の世界の千年の歴史を始まりから終わりまで時間軸通りに進めていっても、現在から過去へ遡って再び現在へ戻るような経路で語っても、物語の内容としては同じのはずです。しかし同じ三つの時間a、a+、a++でも、aを起点として現在a、時間が進んで次の現在a+、さらに次の現在a++とストレートに進んでいくのと、a+を起点とした現在から、過去aの物語の存在があとになって明かされ、その後a+へ戻りa++へと進んでいく物語とでは、読んだ印象が全く違ってくるのです。
 
現在①(2000年)→現在②(2001年)→現在③(2002年)
と語られる物語と
 
現在①(2001年)→過去①(2000年)→現在②(2002年)
のように語られる物語では、
 
2000年に起きた出来事に対する印象が全く違ってくる、と思うのです。
それは、過去という時間軸が完全に凝り固まった事実、歴史としての属性を持っているからだと思います。
 
こう言い方は変かもしれませんが、過ぎ去ってしまった時間には、その時間内に起きた出来事しか存在できないのです。今自分がどれだけ動き回っても過去に影響することはない。現在という時間設定が定義された瞬間に、それ以前の出来事は過去として確実な情報へ塗り固められる、そんな感じがします。
 
過去の情報は既に確定してしまっているのです。なので、過去の物語のうごめきは現在のそれとはなにか違う。現在を生きる人間が何を思おうがそこで起きる出来事は全て起きてしまった事実なので、もはや誰にも変えられないしフォローもできない。取り返しのつかない不可逆な情報として流れ込んできます。過去はこれ以上何からも影響されることがない、変えることのできない事実として現在に一方通行に影響してくる、その感じが好きなのです。
 
過去には可能性という概念が上手く適用できません。
 
登場人物がある時点で、なにか重大な選択を迫られるシチュエーションがあったとします。時間軸が現在にあれば、彼らの選択は未来を決定付ける分岐点となりつつも、その先に何が起こるかは誰にもわからないし、彼らの後の行動によってどうにでもなる、選択ごとに無限の可能性が存在します。
 
しかし過去の選択というのは、それによって導かれる結果が確定事項として待っている。ときにはその過去が悲劇的結末を迎えることが事前に読者に知らされている場合すらあります。そんな場合に読む過去の物語の、過去の時間軸での登場人物の行動には、可能性とは違う運命・宿命のような物悲しさを感じて、なんだか妙な感動を覚えるのです。
 
現在の話の後に語られる過去というのは、悲しい物語であることが多いです。悲しい現実の後に、楽しかった過去の物語が明かされるというケースは、あまり見たことがありません。ワンピースで明かされる過去の物語は、みな悲しい物語です。ニコ・ロビンの故郷が焼き払われたオハラの悲劇は読んでいて本当に心が痛む凄惨な物語でした。しかし、すごくキャラクターに対して失礼だとは思うのですが、滅亡という悲劇的な確定事項に向かって無慈悲に進んでいく時間に対して、そこでの彼らの振る舞いというのは唯一無二で不動な、なんだか希少なものに思えたのです。ロビンの全ての行動の結果、彼女はただ一人生き延びて、彼女の母親を含めオハラの人々はみな死んでしまった。そんなとてつもなく決定的な結末を控えた時間軸なだけに、その限られた過去の時間軸のなかでロビンと母が交わした会話や、彼女を逃がした中将とのやり取りは、とてつもなく貴重で、恐ろしい重みをもって読んでいる私になだれ込んできます。
 
過去の出来事として、結果が確定してしまっている歴史のなかで、彼らがどんな行為をとっていたのか、どんなことを思っていたのか。可能性や不確実性が一切ない時系列での彼らの取り返しのつかない選択というのが、見ていてヒリヒリするというか、現在とはまた違った緊張感を持ってみることができるのです。
 
そういった意味では、歴史物の創作物というのもどこか似たようなものがあるように思います。学校の授業で、私たちは歴史の大枠を知ってしまっている。織田信長は日本を統一する前に死んでしまうし、モンゴルは一大帝国を築いたものの縮小していったし、三国志に出てくる国は全て滅亡した。日本は戦争に負けている。それでも歴史物の漫画は面白い。真田幸村の創作物なんて世の中にどれだけあるかわからないけれど、それらは確実に決定した歴史的事項のなかで、その内容の伝えかたを変え、ときには推論や自作の設定を盛り込んだオリジナルの歴史を作り、面白さを作り出す。その行為は、確実に固まってしまった時代になにかを求めて音楽をディグる行為にちょっと似ている気がします。
 
過去の情報とは、同じ時間であっても現在から未来までに生まれる情報とは違う。そこには可能性や不確実性がなく、変更や派生がない。過去の中の出来事は次の時間に影響しているけれど、次の過去もまた結果として存在していて、過去の時間のなかでの影響や可能性というものは全て過去の最後の時間、結果に収束してなくなってしまう。
 
なんだかとても残酷な読みかたなような気がするのだけれど、やはり私は過去の物語をそのように感じてしまう。悲劇に涙するし、同情するし、仇敵に怒りも感じるけれど、過去の時間に貴重さを感じることもまた事実で、しょうがないことなんじゃないかなぁと感じています。
 
過去の物語は現在という時系列から遡って見つめる、不可変の結果としてみたい。現在から未来へとまっすぐに進んでいく話も好きだけれど、現在ありきで過去の話が後から挿入される物語はもっと好きですよ、という話でした。