しろうのブログ

フィクションの話

ヤマシタトモコの細くて強い『無敵』

運命の女の子

 

肉薄する少女の存在感

 

ヤマシタトモコ先生の絵は女性向け漫画らしい細く、強く主張しない感じの線で描かれています。しかしこの『運命の女の子』に収録されている『無敵』という短編、そこに出てくる一人の女子高校生の存在感が、その線の細さと不釣り合いなほどに強烈で、ちょっと恐怖を感じるほどでした。

 

『無敵』という短編、舞台は警察署の取調室で、一人の婦警がある罪の容疑がかかっている女子高校生に尋問するという話です。婦警は事件当時の少女の行動について、また少女の犯した罪について自白を促すような誘導尋問を繰り返しますが、少女はのらりくらりと質問をかわし、婦警を煙に巻きます。

 

少女の発言には、目立って狂った様子はありません。

 

しかし、話している時の少女の何気ない仕草、その一つ一つが異様な存在感を放っていて、気になってしょうがない。婦警を威嚇しているようにも見えます。


婦警の方を指差したまま手を机に置き、そのまま動かさないでいる。

トイレに立った婦警が取調室に戻ってくるのを、席から立って待っている。

首をかしげて、黒く長い髪を横に流し、取り調べの机の上に落とす。


どれもさして奇抜な行動とは言えない、ちょっとした仕草なのだけれど、少女の醸す得体のしれない雰囲気と相まってそれらは婦警を挑発・威嚇するのに十分な妖気を放ち、婦警を圧倒します。特に彼女の黒く長い髪の毛は、時に他者に向かって伸び威嚇に用いられ、時に顔を隠し影を作り、それでいて彼女が化け物なんかではなく人間であることをやけに生々しく感じさせる、妙な力を持っています。


最初こそ婦警側が主導権を握って進んでいた取り調べも、いつのまにか少女に手綱を奪われ、彼女の容疑を説明・確認する以上の収穫を得られず徒労に終わります。少女の犯したと思われる罪の大きさと、それでもなお平然としている少女の恐ろしさを、改めて婦警が体感させられる。彼女の陰惨な犯罪行為の絵を背景に、冷たく流れる取り調べの会話…読者もまた婦警の立場に立って、平然を装う少女の内に秘められた黒々しい力を感じることになります。

 

少女は幾つもの犯罪をミスなく成し遂げ、かつ証拠を隠蔽し容疑を不確かなものにすることにも成功し、さらには警察の取り調べさえもあしらって見せた。まさに『無敵』の万能感が少女を包んでおりその脅威に読者は最後まで打ち震える、すさまじい漫画でした。

 

細い線と太い線

女性向けの漫画の絵って概して細い線で描かれていて、背景も人物画もあっさりとした描き込みにとどめているものが多いように感じています。恋愛ものであれば少女の目と男子の表情に肝が詰め込まれていて、背景やその他書き込みは補助というような印象です。

 

また女性作家の細く柔らかい線は、キャラクターの非現実感というか神性のようなものを際立たせて、神秘的なイメージを生むこともあります。田村由美先生や大島弓子先生などはその最たる例でしょう。童話や神話のような、現実との隔絶を感じさせる。奈々巻かなこ先生や梅田阿比先生の絵のように、白昼夢のような陶酔感を生み出すこともできます。

 

たくましさや雄々しさとは正反対のものを表現する時、非現実・非日常の陶酔を描くときに、細い線はその力を発揮します。

 

しかし線の細い画って現実からの距離が遠すぎるというか、細い線で囲まれた領域に肉があり血が通っているということが、そこに生身の人間が立っているという存在感を感じ辛いってこともあると思うんです。

 

個人的なことですが、輪郭のどっしりとした、そこにモノがあると力強く主張してくれる、実在をわかりやすく証明してくれる感じの太い線が好きなんです。輪郭が太いとそこにはっきりとした境界ができるとともに、物体の質感や丸み、人においては肉感を際立たせてくれるように思うんです。

 

私の想像力・妄想力が足りてないってこともあるかもしれませんが、どこか細い線で描かれた人間・背景ってつかみどころがないというか、それを触ったらどんな感じがするのかとか、脳内で再生される絵の3D感が太い線に比べて薄い気がするんです。現実と非現実をごっちゃにしてしまいたい私にとって、それはあまりうれしいことではない。

 

なんであれ絵というものにはもっとわかりやすく、見てる私の方に迫ってきてほしい。その点においては、なんとなく太い線の方が現実との距離が近いように感じていました。


そんな私の固定観念というか、頭に変に染みついた偏見をヤマシタトモコ先生の『無敵』は完全に覆していったので、びっくりしたという話でした。