しろうのブログ

フィクションの話

読切は面白い(2014年)①

 

この記事は、今年私が出会った読切を、新人作家さんを、あるいは見知った作家さんとの紙面での再会を記録する、備忘録記事です。

 

順番は私が読み直した順なので、めっちゃんくっちゃんです。

 

 

週刊漫画Times「いつかみんなでピクニック」甲乃称太

f:id:shirofvgt:20141130112958j:plain

 

16歳の冬に変態に襲われて、顔に口裂け女のような傷跡が残ってしまった少女の話。
娘の傷について一切触れようとしない父、少女を普通の女子高生として扱おうとした結果娘の心をえぐる母、周囲からの下卑た好奇心にさらされた少女はすっかりふさぎ込んで、自分の運命を呪って生きています。

 

f:id:shirofvgt:20141130113026j:plain

f:id:shirofvgt:20141130113037j:plain

 

自分の中に一つ不幸を見つけてしまうと、それがネガティブ思考の拠り所となってアリジゴクのようにそこから抜け出せなくなります。不幸というものは誰の努力によっても解消されない、解消することができないと思われているがゆえに自己弁護の格好の武器となってしまいます。そして過度な自己弁護は他人からの理解を要求するようになり、一方で他人を理解する努力をしなくなり、自分本位体制が確立します。

 

自分だけの不幸世界を閉じつつある少女の暗い感情によって、本当は少女と同様にあるはずの周囲の人間の苦しみと配慮が隠されている様子、そしてそれが少女の心境の変化によって紐解かれていく過程がとても面白く、素晴らしい救済でした。

 


コミックリュウ「夏の魚」霧恵マサノブ

f:id:shirofvgt:20141130113110j:plain

 

大学の講義の一環で解剖用の深海魚を自前で用意しなくてはならなくなった主人公がある朝波打ち際に打ち上げられていたミズウオをゲットしホルマリン漬けにしたところ、ミズウオの霊的な何かに取りつかれてしまう話です。

 

本来打ち上げられた魚は鳥に食われて、その魂も空へと帰っていくのだけれど、ホルマリン漬けにされたことでなぜか現世に留まってしまったのだと、ミズウオは賢明に推測します。

 

f:id:shirofvgt:20141130113139j:plain

 

ミズウオが主人公に取りついたのはまったくの偶然であり彼に霊媒体質があるわけでも、その後に劇的な騒動に巻き込まれるわけでもありません。主人公は凡庸で大学で部活に精を出すわけでもなくバイトや旅行に励むわけでもない、指針なく日々を生きるボンクラです。そしてミズウオもまた餌を求めて浅瀬を漂っているうちに打ち上げられ死んでしまったボンクラ魚です。

 

彼らの出会いそのものには大きな意味などなく、「これを天啓ととるか、ただの現象ととるかは、全て観測者の君次第だ」とミズウオくんも言います。

 

その後主人公とミズウオくんはなんだかんだと楽しく過ごし、解剖実習がやってきます。その日がミズウオくんとの別れの日になると薄々気づいていた主人公は、友人であったミズウオくんにことを隅々まで、粉々になるまで解剖し、そのすべてを知ろうと鬼気迫る表情で膨大なスケッチをとります。ミズウオくんの肉体は全て主人公の知識となり、その精神は思い出となり主人公に取り込まれます。

 

f:id:shirofvgt:20141130113158j:plain

 

何物でもなかった二人の生物が偶然によって非現実的な時間を共有し、それぞれの存在に意味があることを確認し、そして別れるという一連の流れがとても好きです。

 

作者の霧恵マサノブ先生のホームページを見てみたら、河岸で見つけた変な魚を食べる変なブログをやってました。

 


週刊少年ジャンプ「あばれ猿」打見佑祐

f:id:shirofvgt:20141130113216j:plain

 

ページ数が長いこともあるんだけど、ライバルへの敗北、修行、開花、再戦っていうとても熱い展開に加えて、天才過ぎる人間の孤独とか、常人を置き去りにする超人の身体世界とか、濃厚な格闘要素がしこたま詰め込まれていて、読後にどっしりとした満足感がありました。主人公の特性が「超握力」ってところもたまらなかったです。

 

f:id:shirofvgt:20141130113235j:plain

 


アフタヌーン「ウムヴェルト」五十嵐大介

f:id:shirofvgt:20141130113254j:plain

 

「ウムヴェルト」は「環世界」と訳されており、動物が持てる感覚器官をフルに活用して感じ取っている、世界の見え方のようなものです。犬であれば鋭いきゅう覚によって、いつどこでどれだけのモノがそこにあったのかを瞬間的に感じ取ることができます。犬が感じている環世界を無理やり視覚中心の人間風に変換するならば、無数の映像を途切れることなく超高速で流し続けているような世界になるかもしれない。

 

f:id:shirofvgt:20141130113323j:plain

 

この読切では、カエルの細胞を体に取り込んだ少女が研究施設から脱出し、カエルの感覚でもって世界を体感します。

 

f:id:shirofvgt:20141130113341j:plain

 

カエルは皮膚全体が鼓膜のようになっており、聴覚に関して人間よりはるかに敏感で、全く違う環世界を生きていると考えられます。人間は真空状態では全く音を聴きとれないので宇宙空間、風の音を感じるように宇宙の存在を聴覚で感じることができません。

 

しかし聴覚において全く人間とは違う体系を持つカエルならば、人とは異なるカエルの環世界を生きる彼女に人間の言語を覚えさせれば、我々は彼女を通して宇宙の音を聴くことが、宇宙を感じることができるかもしれない。

 

f:id:shirofvgt:20141130113403j:plain

 

感覚以外の思想や妄執によって環世界を変化させ、神から最も遠ざかってしまった人間が、人体改造の禁忌を犯し他の環世界をも欲するようになる、神の領域に入ろうとする話です。

 

岡崎二郎先生が『まるまる動物記』の中で描かれていた、動物たちが感じている感覚世界を人間が感じることは決して叶わない、それはあくまで人間の脳・感覚器官を通した世界でしかないというお話に近いものがあります。『ウムヴェルト』のなかで描かれている、環世界を超える手法は明らかに道徳に反していますが、神の存在を否定するならばとても魅力的な世界に見えてしまい、恐ろしいです。

 

 ②に続きます。