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しろうのブログ

フィクションの話

『DREA-MER』と一人称のはなし

ドリー・マー 1 (少年サンデーコミックス)

 

少年サンデーで今連載中の漫画『DREA-MER~ドリー・マー~』を出しに、一人称に対する自分の考えを書きます。

 

 

一人称って難しい

一人称を自分の中で規定するのってすごい難しいことだと思うんですよ。自分のことを、自分で称するってわけわからん行為だと思うんです。頑張って4半世紀生きてきたのですが、未だに自分のことを呼ぶ時の一人称が固まっていません。

 

自分で自分の属性やら性格やらを分析して、限られた一人称の用法の中から最も自分に合ったものを選択して代名詞として使うって、そう簡単なことではないです。

 

私は文面ではいつも「私」を使うようにしていますが、自分はそれほど大人らしく人間性が固まっているわけでもなく、丁寧な物腰があるわけでもなく、単に文面を読む相手に敬意を表すために使っているものです。あくまで便宜的なものであって自分の性質と「私」という言葉の響きはあっていないように思っています。

 

誰か他人と話す場合、目上の人と話すときには「僕」、友人・年下と話すときには「俺」を使っていますが、どちらの一人称にもなぜか気恥ずかしさを感じてしまって、聞こえるか聞こえないかぐらいの非常に曖昧な発音で適当に乗り切っています。この一人称の、自分で自分を称するっていうのが物凄い恥ずかしい。

 

男性の一人称にどんなものがあるのかと調べてみても、どれも自分を称するにはどうにも合わないような違和感に包まれます。特に友人や後輩と話すときに「俺」という一人称を使ってしまう事には違和感に留まらない嫌悪のようなものすら感じています。自分に雑で怠惰な性格はあれど粗野で乱暴な面はなく、「俺」という響きに感じる我の強さや野性味は自分にはそぐわない表現であるなと感じています。

 

「僕」という一人称も自分には繊細純朴すぎるというか、「俺」にしても「僕」にしても、そこに感じる役割語的イメージが自分の中で強すぎて、自分自身の性質とそのイメージがうまくかみ合わず不安な気持ちになって、一人称をごまかしてしまうようになっているのです。

 

私が勝手に抱いている一人称へのイメージ固定観念が、自分の精神とかみ合わない、自分自身を表すものとは思えない。慣れないあだ名で呼ばれているような居心地の悪さがあるのです。

 

フィクションの登場人物、特に主人公達って基本強大な力を持っていたり情熱的な精神を持っていたり理知的であったり未熟なショタボーイであったり、それぞれの精神がキャラと結びついて確立されている、自分の精神とフィクション的役割が一致していて、その一人称もキャラに合った最善のものが使われている、精神と一人称が最適の関係にあるのです。それを羨ましく思いつつ、そんな役割語的一人称と、精神が結びついていないキャラクターなどを見かけると何とも言えない親近感を抱く一方、自分自身の呼称に関する迷いがさらに増していったりしています。

 

バコハジメ『DREA-MER』について

ドリー・マー 1 (少年サンデーコミックス)

 

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少年サンデーで連載中のバコハジメ『DREA-MER』という漫画は、突如世界に降り注いだ謎の生物「羊」によってほとんどの人間が夢の世界に引きずり込まれてしまい、4年間の眠りから現実の世界に目覚めた主人公マー君と、謎の羊少女ドリーが頑張って生きていくお話です。

 

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このドリーという謎の羊風少女、クローン羊のドリーとかけてる感じがしてなんだかわくわくします。

 

マー君は幼少期に交通事故で母親を失い、冷たい親戚に預けられ孤独に生きていたところを羊に襲われ夢の世界へ強制的に引きずり込まれます。羊の力でマー君は自分にとって非常に都合のいい夢、母親が生きていて平和に暮らしている、嘘の夢を見せられていました。その夢の中でマー君は何か言いようのない苛立ちを感じながら、それを振り払うように誰にも負けない強さを身につけていきます。

 

 

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マー君はドリーと出会ったことで夢から目覚め、都合のいい夢の中自分が感じていた苛立ちの正体に気づき、現実世界で母親との約束事を果たすために生きていくことを決意します。

 

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マー君の一人称

さて、マー君はその辺のヤンキーなら軽く倒してしまうし、現実に目覚めてからも羊生物を素手で殴り飛ばすような腕っぷしの強い男子なのですが、彼は自分のことを「僕」と呼んでいます。

 

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目つきの悪さや粗暴な言葉づかい、さらに闘って強いともなると、フィクション役割語的には「俺」を当てるのが妥当なような気がしますが、彼は「僕」という一人称を使っています。

 

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マー君は肉体的には強いものの、その心の奥には恐怖に敗けて母親を助けられなかったことへの罪悪感や後悔の気持ちが強く根付いていて、そんな苛立ちをかき消すために力を求めたものの未だなおそれを克服するに至っていない、とても不完全な精神状態にあります。彼の心は、まだ「俺」という力強さ・確固たる自信を含んだ一人称を使うに至っていないのだと思うのです。

 

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彼は自分の非力さを悔いるあまり、都合のいい夢に浸ることを拒否する人間です。

何よりも自責の念が強い人間に、「俺」という一人称は似合わないです。

 

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そんなマー君が自分のことを「俺」ではなく「僕」と呼んでしまう事はとても納得がいくなぁと感じていて、きっとこの物語が終わってマー君が全ての敵を倒した時に彼の一人称は「僕」ではない違う何かに変わるかもしれないし、「僕」のまま大人になっていってもそれはそれでええなと感じます。

 

用法の限られた一人称の中で自分が選べるものはさらに少なく、私は自分を称するのに何かしらの言葉を選んで使わざるを得ません。そしてその中で選択された一人称はきっと私の精神に完全にマッチすることはなくどこかでズレを生じてしまいます。

 

しかし私も一人称を使わずに生きていくことはできないですし、私も「俺」とか調子こかずに身の丈に合った一人称、できれば「僕」とかを使っていきたいです。

 

 

 

 

余談ですが最近読んだ大石まさる先生の『空からこぼれた物語』って短編集の中にこんなおじさんがいて

 

空からこぼれた物語 (ヤングキングコミックス)

 

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大人が使う「僕」って響きも悪くないなとか、「僕」という一人称が似合う老人にもなってみたいなぁなどと感じたりして、粗暴だとか勇者的だとか、繊細だとかショタ的だとかフィクションの役割語的イメージに囚われることなく自分の思うような一人称を使って生きてえなぁという話でした。