しろうのブログ

フィクションの話

『私という猫』:飼い猫と野良猫と人とケダモノ

猫がそこそこ好きなのですが、飼い猫は当然のこと野良猫と出くわした時にも同じように可愛いものを愛でる感覚で彼らに近づき、多少威嚇されても可愛いもんだと、彼らの生きる世界の険しさや飼い猫とは違う野生を見過ごしていたように思うのです。

 

飼い猫に抱く愛玩的な気持ちを、本気で生きている野生生物に向けるということは彼らに対して失礼なのではないか、野良猫という生物への認識が間違っていたように感じたので、そんな話をします。

 

 

 イシデ電『私という猫』の野良猫

イシデ電先生の『私という猫』は綺麗なしっぽを持つ年嵩なメス野良猫「美しっぽ」の生涯を描いた漫画です。

私という猫 (Birz extra)

漫画内では物語上多少人間的にキャラ付けされた、多くの猫が登場します。

 

 

野良猫として生まれ、たくさんの子供を産んできた年嵩のメス猫・美しっぽ

 

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飼い猫でありながら野良の世界に顔をつっこんで痛い目を見るポン太

 

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人間に捨てられ突如過酷な野良世界に放り込まれた元・家猫のハイシロー

 

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野良生まれでありながら危険を覚悟で人間に近づいて生きることを選ぶミー

 

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生き方の違う彼らの、多様な野良猫観が楽しめます。

 

しかしこれらキャラの濃い猫同士の掛け合いよりも、何よりもこの漫画のエグイところは、飼い猫とは違う野良猫の、可愛くもなんともないケダモノとしての姿を容赦なく描いているところで、それが私の猫に対する漠然とした親しみあるイメージに大きく食い込んできます。

 

 

 

 野良猫の持つケダモノ性

私という猫 ~呼び声~ (バーズコミックス スペシャル)


『私という猫』は『私という猫~呼び声~』とあわせて全二巻で完結しています。前者『私という猫』は比較的猫のキャラに基づくドラマ色が強く、後者『私という猫~呼び声~』では野良猫の繁殖、残酷な生の終焉、人間社会との衝突など、野良猫のケダモノらしい営みが描かれていきます。

 

そんなケダモノくさい『私という猫~呼び声~』の中でも、物語終盤で美しっぽが人間の罠にかかって捕まってしまう話が非常に印象的でした。

 

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餌でおびき寄せられ突然鉄カゴに閉じ込められ、見知らぬ世界へ運ばれていく。閉塞的な世界への形容できない恐怖が美しっぽを包み、パニックに陥っていく様子が非常に痛々しい。

 

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状況が理解できず、本能が感じる恐怖を処理することもできずのたうつケダモノとしての姿に、私が猫に抱いていた可愛らしく親しみのあるイメージがごっそりとかき消されました。


美しっぽは後に元の世界へ解放されますが、避妊手術を施され生殖機能を失ってしまいます。発情期で子供を作りたくてうずうずしてたはずの気持ちが嘘のように消え去り、胎が空洞になってしまったこと、もう子供を作れない体になったことを感覚で理解してしまいます。

 

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人間に対する強烈な警戒心と恐怖は確かに残したまま、飼い猫のように生殖活動を奪われ戸惑う姿が、かえって野良猫が野生生物であることを際立たせます。

 

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その後、腹部響く手術痕の痛みと生殖機能を失った喪失感から抜け殻のようになった美しっぽですが、別のメス猫が死の淵で産み遺していった赤子を育てるために最後の力を振り絞り、物語は完結へ向かっていきます。

 

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生殖機能を失ってなお動物の本能を保ち、どんな手段を使おうと子を育て生きていくケダモノの姿が、とても泥臭くて力強い。

 


『私という猫』は野良猫の動物っぽさ、可愛らしく親しみある飼い猫のイメージとは真逆の、力強く生きる猫の生命としての姿を見せてくれる漫画です。彼らの生は飼い猫のそれと混同してはならないし、彼らに向ける感情も飼い猫に対するそれとは全く別のものとして抱くべきだと勝手に感じています。

 

 

 

 

飼い猫は人間、野良猫は動物

実家で猫を飼っています。

 

私はその飼い猫すごく好きなんですが、彼らはあまりにも人間寄りにカスタマイズされているので、めちゃくちゃ毛が濃くてちっこい人っていう感覚で、彼らがケダモノであるとはどうにも思えません。去勢・避妊手術を施された彼らには野生生物としての繁殖の匂いは感じられないし、生への貪欲さも見せない。

 

飼い猫は猫でありつつも野良猫とは全く違う生き物であり、私の中では人間と同じ分類にあります。


野良猫も野生動物の中では人間との距離が近く、食べ物をあげたり人懐こいものは撫でてみたりと、飼い猫と同等とまではいかないものの人間的に見えてしまう事があります。

 

 

しかし野良猫は空腹時には小鳥を襲いネズミや虫を襲い、ゴミ捨て場を漁り荒らしたり、寒い日も雨の日も、いつ死んでしまうかわからない険しい世界を生きるケダモノです

 

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どれだけ人間と距離が近くあっても縄張り争いをするし発情期には悩ましい騒音を立てるし、山ほど子供を産んではすぐ死んでいきます。

 

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野良である限りどこまでも野生であり、彼らは人間ではなく動物です。彼らの生きる世界は、どうやっても人間の感覚とは噛み合いません。

 

強い警戒心を持ち、不用意に近づけば動物らしい退避態勢に入り、激しく威嚇してきます。飼い猫たちとのふれあいから猫に過度な親近感を抱いている私には、その警戒がかわいらしく見えたり、ナウシカ的な妄想が頭をよぎったりするのですが、野良猫にとって警戒の仕草は本気であり威嚇は敵意、恐怖の表れのはずです。しかし私が飼い猫と遊んだり猫漫画を読んだりしているうちに、飼い猫に対する親近感が過度に膨張し、本来区分すべき飼われと野良の境目を飛び越えてしまって、野良猫の発する野性味を見辛くさせ、彼らの見せる恐怖をぼやけさせてしまうのです。


『私という猫』は飼い猫と野良猫の、人間と動物の違いを鮮明に掘り出していて、漠然と「猫」というくくりで野良猫と親しみを抱いていた私に、異種動物と接する時の適度な距離感を思い出させてくれたような感じがします。

 

野良猫に友人としての魅力ではなく、動物としての魅力を感じるようになった、という話でした。