しろうのブログ

フィクションの話

『寿司ガール』の話

 

安田弘之先生の漫画『寿司ガール』は、寿司が擬人化する話です。

 

寿司ガール 1 (BUNCH COMICS)


寿司ガールとはその名の通り、寿司ネタが擬人化した存在です。大きさは手乗りサイズで頭には生の寿司ネタを乗せている妖精のような存在です。しかし、その本質はやはり一貫の寿司であり、その妖精のような姿は一部の人間にのみ認識されるもので、普通の人間からしたらただの寿司ネタにしか見えていません。本質が寿司なので、当然食べることもできます。

 

寿司ガールたちはそれぞれ人格を持っていますが、生き物としての共通の目的みたいなものはありません。いたずらをしてひたすら人間をからかうとか、一貫の寿司として美味しく食べられたいとか、何をするでもなくぼんやりと人間と同居していたり、ネタによって行動規範が全く違っています。彼らが何故人間の姿で人前に現れるのか、人間のようにふるまうのか、一把一絡げに定義づけることはできません。

 

そんな寿司なのか人間なのかよくわからない寿司ガールたちが偶然寿司を食っていた人間のもとに現れ、彼らの人生にささいな影響を与えていきます。

 

 

『寿司ガール』:コハダさん

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とある女性が偶然回転寿司で食べたかぴかぴのコハダが、自分を食べてくれたことに感謝の意を示し、恩返しをしたいと彼女のもとを訪れます。コハダさんは特に彼女に恩返し的な行動を示すことはありません。ただ彼女の秘密の話し相手として孤独な時間を埋める友人のように、一年もの期間を過ごします。

 

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男性に振られた時の寂しさやら妊娠してしまった時の不安喜びやら、コハダさんは彼女の横でただ話を聞き、人生に寄り添います。

 

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女性は結局子供を堕ろすことになり、唯一の家族である父を失い、やっとのことで籍を入れた男性にも捨てられて、独りボロボロになって衰弱していきます。薬物を摂取し死の淵をさまよう彼女は、最後まで自分から離れなかったコハダさんと会話し、自分の人生を振り返ります。

 

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コハダさんとの出会いは彼女の人生を大きく変えることはなく、コハダさんが彼女と出会わなくても、彼女の人生の結末はやはり悲劇的なものだったのではないかと思います。それでも彼女が最後に抱いた感情は、コハダさんと出会わなくては得られなかったものだとも思います。

 

 

寿司ガール:穴子軍団

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この話の主人公は他人に優しくしたり何かを愛でるような感情が欠落していて、一方で誰かを傷つけることにも心沸き立つことなく、無感動な人生を送っています。そんな彼女があるとき10万円ほどの臨時収入を得て気まぐれに寿司屋訪れ、奇妙なアナゴの握りと出会います。

 

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人間姿のアナゴ寿司ガールをあっさり食べてしまった彼女の下に、穴子の仲間・アナゴガールたちが集結し全力の嫌がらせを飛ばします。

 

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最終的に彼女は、アナゴガールの嫌がらせに対抗すべく穴子軍団たちをゴミ袋にまとめて燃やしてしまうのですが、その火がうっかり燃え広がってアパートを丸ごと燃やし、放火犯として刑務所へ入れられてしまいます。

 

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過去の余罪を追及されたのか無期懲役となった彼女は、監獄の中で自分の空虚な人生を思い暗く落ち込んでいくのですが、そんな彼女の独房にまでアナゴの寿司ガールたちは嫌がらせを仕掛けてきます。

 

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穴子軍団は彼女が刑務所に入れられてしまうきっかけを作りましたが、彼女の人生においていつか刑務所に入るということは避けられないことだったように思うし、穴子軍団はあくまでもタイミングを早めただけであるように思います。しかしやはり彼女が穴子軍団と出会う前と出会った後では、その精神にほんの少しの変化があって、人生を変えるほどではないにせよ、その色をほんの少し良い方向に変えていったように感じられます。

 

 

寿司ガール:ホタテちゃんとカッパちゃん

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かつて人生を投げ出して桜の木の下で首つり自殺した女子高生の幽霊と、誰にも食べられることなく売れ残った寿司の霊・ホタテちゃんとカッパちゃんが出会う話です。

 

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女子高生は孤独でやるせない感情に包まれています。一方でホタテちゃんとカッパちゃんには前世への未練や後悔の念が全くなく、次生まれ変わったら今度こそちゃんと食べられたいとか、人気のマグロちゃんになってみたいとか、女子高生に比べて次への希望にあふれとても能天気にふるまっています。

 

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そんな寿司ガールに女子高生の心もいつしかほぐされて、簡単に死を選んでしまったことへの後悔や次へ進む勇気を生み出します。

 

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寿司ガールと対峙する人間はみんな、人前には出せない感情を内にため込んだ人ばかりで、人とも何ともつかない謎の存在を前に心の内を解放するようになります。

 

 

これらはどれも本当にとてもいい話だと思ったのですが、この寿司ガールって存在は別に寿司である必要はないのではないか、食べ物でなくても、寿司でなくても、なにか妖精的な別の存在でもよかったのでないかと、読み始めた当初は思っていました。

 

しかし『寿司ガール』の中に収録されている『スズキさん』という話を読んで、やはり寿司ガールは寿司であって然るべきだなと感じました。

 

 

 

寿司の寿司ガール:スズキさん

寿司一貫分の小銭を握りしめて寿司屋にやってくる、ヒカリモノ好きな少女の話です。

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少女は愛想も見せず、周囲の好奇の視線も意に介さず、ひたすら店の大将が握る寿司の味をじっくりと楽しみます。

 

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特に大将が特別に握ったスズキを少女は大層気に入るのですが、しばらくののち大将は病に倒れ店から離れてしまいます。

 

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大将がいなくなった後も足しげく店に通う少女ですが、かつて大将が握ってくれた寿司のような感動を得ることができず、また必要以上に話しかけてくる大人たちにも嫌気がさして、かつてのような笑顔を見せなくなってしまいます。

 

ふさぎ込む少女の下に、板前さんはかつて大将が振舞ったスズキを少女のために握るのですが、そのスズキは少女の目にはただのスズキではなく寿司ガール・スズキさんとして映り、食べる以上の大きな感動として彼女の心を強く揺るがします。

 

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『寿司ガール』のなかでもこの『スズキさん』だけは、寿司を食べることの感動そのものを、寿司ガールという媒介を挟んではいますがとても直接的に食を描いている話です。しかし、この話の最後のシーンで少女がうれしそうにスズキさんを持って走るシーンが、他のヒューマニズム溢れる他の話と同様に感動的に思えて、そのことがとても面白く感じました。

 


寿司の卑近な贅沢感が妖精的ファンタジーを地に足つけさせる

『コハダさん』『穴子軍団』『ホタテちゃんとカッパちゃん』では寿司ガールという妖精的な存在との出会いから得られる幸福、『スズキさん』では寿司を食べることで得られる幸福に重点を置いていると思うのですが、これらの物語で人間が寿司・あるいは寿司ガールから得た幸福の質には、大きな違いがないように感じるのです。

 

これはあくまでも個人的な感覚なんですが、寿司っていろいろある食べ物の中でも、ひときわ特別感の強い食べ物だと思うんです。ある程度家庭的でありながら、そう簡単には触れることができないごちそう感というか、一大イベントだと思うのですよ。それは質に左右されず、回ろうがカウンター越しだろうが、とにかく寿司と聞けば楽しい気持ちになります。


寿司を食べるという小さな贅沢と、寿司ガールという妖精的な何かと少しふれ合って得られる幸福は、人生を大きく変えるほどではないにせよその日一日の気分を楽しくしてくれという点で、同質のものであるように思えるのです。寿司とも人間とも取れない微妙な、ナンセンスな存在なのですが、人間ほど強烈に他人に影響を与えられないものの、一時の感情を少しいい方向に持っていくだけの力は持っているというのが、絶妙に寿司らしいなぁと感じます。

 

卑近過ぎず、ファンタジー過ぎることもない感動の度合いがとても心地よく、寿司が食いたくなる漫画でした。

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