しろうのブログ

フィクションの話

『鉄腕アトム』:「異端の狂気」の話

月刊ヒーローズで連載してる鉄腕アトムの前日譚「アトム・ザ・ビギニング」が面白いなあと思っています。

 
「アトム・ザ・ビギニング」は「鉄腕アトム」時代から2~30年前の近未来、若き日の天馬博士とお茶の水博士が開発した自律型人工知能を搭載した試作ロボット「A10ー6」が、機械にはないはずの自我や感情のようなものを作り上げていく話です。
 
 
 
 
この漫画の時代では、ロボットはあくまで産業機械の一種、設定されたプログラムにしたがって命令に従順に従う超高性能な機械、建設機械として、介護用の補助器具として、あるいは兵器として、文明の利器の一種として存在しています。アトムの時代のようにロボットが個体ごとの自我・個性をみせるような技術はなく、考えるロボットがまだ存在しないのです。
 
無機質な道具でしかなかったロボットが自我を持ち、感情を形成し、鉄腕アトムのようなロボットになるまで、その軌跡を描いた漫画なのです。感情を持たないはずのロボットが感情をもっちゃう系の話が大好きなので、読んでてとても楽しいです。
 
ただ、単行本帯にのっている庵野秀明監督からのコメントにちょっと引っかかるところがありました。
 
 
 
 
「…この世界にアトムという異端の狂気が混じる瞬間を楽しみにしています。」というコメント、鉄腕アトムを「異端の狂気」と呼んでいる意図がよくわかりませんでした。アニメを何話か見ただけの私が抱いていたアトムのイメージは、人間とロボットの両サイドに優しく、時々わがままいってロボット法を破ったりする、ただ機械の体と超パワーがあるだけの無垢でやんちゃな少年、って感じでした。人間と大差ない心を持った機械っていうのは、ある意味「異端」と呼べるのかもしれない。でも「狂気」と呼ぶにはアトムは子供っぽかったし、正義のヒーローのアトムにそんな不穏な言葉が似合わなくて、なんだかとても引っ掛かるものがあったので原作を読んでみることにしたのです。
 
以下、「鉄腕アトム」を読んだ感想を書きます。
 
 
 

電子頭脳に潜む矛盾と、いびつな社会

鉄腕アトム 1

アトムには、人間のような心があります。「アトム・ザ・ビギニング」のA10-6のように未発達なものではなく、自分で考え悩み、判断して行動する自律性があるように見えます。また自分に親がいないことを悲しんだり、ロボットを悪用する悪党に怒りを露にしたり、変なところで意地になったり、機械とは思えないほどの多様な感情も持っています。機械の体を持っていることを除いて、アトムは人間と同じような心を持っているように思えます。

 

しかしアトムの電子頭脳は、人間にとって不都合な性質が意図的に省略されていたり、また人間に都合のいい超人的な機構が組み込まれていたりと、心があるとはいえやはり彼の電子頭脳は機械であり、彼は人間ではない機械なのだと思い知らされるシーンが、作中にいくつも出てきます。

 
庵野監督の言う「狂気」に当たるのかはわかりませんが、アトムは時々ビックリするぐらい機械的で、あっさり人間臭さを脱ぎ捨てることがあって、人間的な性質とロボットの機械的本質が両立してしまっている歪さが、なんだか恐ろしく感じるのです。
 
人間的な心を持っていながら、一方で高精度な機械的機構も兼ね備えている。アトムの心には人間と無生物という相反する性質が共存している、矛盾ともいえる歪さがあるのです。
 
 

1、「アルプスの決闘」アトムには感動する心がない

人間のような心を持っているアトムが、機械としての合理的な本質を見せる例として「アルプスの決闘」という話があります。その話でアトムは、自分の心には怒ったり悲しんだりする機能はあっても、音楽の心地よさや景色の美しさに感動することはできないと嘆き、お茶の水博士に人間並みに何かに感動できる心をつけてくれと懇願します。
 

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ものを美しいと思う感情を手にいれると、同時に恐怖の心まで身に付いてしまってアトムのロボットとしての機械的特性が失われてしまう。肉体的苦痛や生存本能のないロボットだからこそ、アトムは敵に立ち向かい戦えるのだとお茶の水博士は言うのですが、アトムは自分に要らないと感じたらすぐに外すからと、一度だけ人間の心のこもった人造心臓を取り付けてもらうことになります。

 

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今まで見ていた景色ががらりと変わって人間の心の感動を楽しむアトムですが、アトムが恐怖心を身に付けてしまったことを知った悪党がアトムの両親を誘拐し、アトムを誘きだしてボコボコにしてしまいます。
 

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いざ敵と対面しても今まで感じたことのなかった恐怖にのまれて動けなくなってしまったアトムですが、駆けつけたクラスメイトがとっさにアトムの人造心臓を壊し、恐怖から解放されたアトムは悪党ロボットをなんとか倒します。そして戦いのあとアトムは、ロボットが人間の心を持っているとかえってダメになるからと、ロボットとして、人間の心を身に付けることを諦めてしまいます。
 

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冒頭であれだけ渇望していた人間の心、一度世界の美しさを実感していながらロボットとしての責務を最優先する。その選択はロボットらしい行為なのかもしれませんが、あれだけ人間臭くて、もはや同じ人間としての親しみを感じていたアトムが、ここまであっさりと人間の心を手放すというのが不気味に感じました。
 
 

2、「すりかえ頭脳」自分の記憶に対して執着がないアトム

「すりかえ頭脳」という話では、アトムの機械的な頭の良さを嫌ったクラスメイトの父兄がアトムの電子頭脳をこっそりと入れ換え、学習経験を初期化してしまうということがありました。

 

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勉強の記憶を失ったアトムは当然成績が落ち、今まで学んだ知識を始めから詰め込み直すという酷い苦労を経験させられます。

 

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最終的には父兄が自分の犯した罪を白状してアトムに電子頭脳を返そうとするのですが、それに対してアトムは「もう新しいのに慣れたから返さなくて良い」とそのままどこかにいってしまうのです。
 

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頭脳を入れ換えられたといっても勉強以外の記憶はコピーされているようで、アトムからしたらさほど問題ではないのかもしれません。しかし自分の脳が類似品とすり替えられ、記憶の一部を消されていることには代わりありません。人間であれば感じるであろうその後味の悪さをアトムは全く感じていないようで、合理的な機械としてのアトムと、人間らしい苦労を積んでいたアトムとのズレがとても気持ち悪く感じます。
 
そして、こういった人間臭い要素と機械的な合理性が隣り合う気持ち悪さは、アトムの電子頭脳についてだけではなく、ロボットに対する人間社会の態度にも見られます。
 
 

3、ロボットに人間を投影しない「鉄腕アトム」の人間社会

私が「鉄腕アトム」を読んでいるときは、アトムや他のロボットたちを人間と同じような存在として読んでいます。動物でもないし人間とも少し違うのだけれど、宇宙人というほどの心理的な距離感はない、かといって無機質な機械とも思えない。ちょっと変わってる別民族の人ぐらいの印象をもって、ロボットたちの活動を読んでいます。
 
鉄腕アトムの世界では、ロボットは「人間に利益をもたらすために作られ、そのためだけに行動する」という考えが根強く定着していて、人間はロボットを使役し、ロボットはそれに従うというはっきりとした権力関係があります。ロボットが凶悪事件を起こせば人間社会はロボット撤廃論に傾き、ロボットを弾圧します。ロボットの心をすべて抜き取ってしまえばロボットによる事件は起きないなどという極端な論説がまかり通るほど、ロボットの社会的立場は、人間と同等のように見えて常に迫害される立場にあります。
 

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アトムもロボットなので他のロボット同様、人間が所有する財産として、非人間的な無機物として扱われることが多々あります。彼の保護者的立場であり、故障したアトムを直したり悪いやつを倒すためにアトムをサポートしてくれているお茶の水博士でさえ、アトムを完全に人間的な存在としては見ていません。倫理道徳に則してアトムに味方していますが、あくまでも機械として、人間のために尽力する道具として扱っている節があるのです。
 

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アルプスの決闘」でもお茶の水博士のそういった姿勢が表れています。お茶の水博士は、アトムに人間並みに感動する心を植え付ける技術を持っていながら、それが人間のためにならないことだと判断して、あえてその機構をアトムに組み込んでいなかったのです。科学省の長官であり一人の科学者である彼にとって、その態度は正しいものであるのかもしれませんが、あれほど人間臭い振る舞いを見せるアトムに対してこれほど割りきって、アトムたちロボットを人間の財産・物と断ずることができるのは、どこか異常な感じがします。
 
アトムの判断を妨げ、彼の人間的な思考に機械的な合理性を求める環境。それに従うよう「人間の不利益となるようなことをしてはいけない」という制約を課された彼の電子頭脳が、果たして「アトム・ザ・ビギニング」でお茶の水博士が追究していた自律型人工知能の、自我のある機械としての姿なのか、疑問です。
 
 
 

3、「青騎士」アトムの自我のバランスが崩れる瞬間

こういった「鉄腕アトム」のいびつな社会が破綻する、「青騎士」というアンチテーゼ話があります。

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青騎士」は、人間に強い反発・恨みを抱くことで、本来人工知能には存在しないはずの人間への殺意が芽生えてしまったロボットで、ロボットに過酷な労働を強いている人間を次々に殺すという事件を起こします。青騎士の異常な行動を発端として、ロボットのなかには人間への殺意を持つ素質を持った特定の型式があることが判明し、疑心暗鬼になった人間は一方的にロボットの検査・選別が始めます。青騎士と同じ性質を持つロボットは問答無用で解体工場へ送り込まれ、アトムの両親もその対象になってしまいます。

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青騎士型ではないとされるコバルトやウランまでもが警察による不当な暴力を受け、アトムは珍しく人間に対する強い反発を示し、ついには「ロボットは人を傷つけてはいけない」という禁忌を破ります。

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モノとしての扱いを、機械として受け入れてきたアトムの電子頭脳が、ついに人間に服従する機械の性質を投げ捨て、一つの考える個体として人間に反抗します。ここでアトムの電子頭脳のいびつな矛盾、人間臭さと機械的合理性の共存は崩壊しています。
 
人間に作られたロボットとしての制約、「人間の役に立つために生きている」という規範を破ったことで、ようやくアトムは完全な自律型人工知能、「アトム・ザ・ビギニング」でお茶の水博士が追い求めた自我を持つロボットとして完成したのではないかと思います。
 
ロボット狩りは過激さを増し、迫害され住む場所すら奪われたロボットたちは青騎士のもとに集結、ロボットだけの国・ロボタニアを建国。人間たちはそれを謀反ととらえ軍隊を派遣、人間とロボットの戦争が始まります。
 

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アトムは人間軍との戦いに参戦し、人間によって修復不可能なほど破壊されてしまいますが、生みの親である天馬博士によって修復されます。しかし復活したアトムには人間に対する反発が強く根付いており、近しい存在だったお茶の水博士やヒゲオヤジ先生にさえ反抗し、ロボットを虐げる人間社会を攻撃し始めます。
 

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ロボット狩りの際には正常なロボットだと判断されていたアトムが、人間の不当なロボットへの弾圧の結果、「青騎士型ロボット」へと変容してしまうという皮肉な展開を迎えます。
 
人間に支配されていたロボットが反旗を翻し、機械が人間を支配する世界へと進んでいくという話は手塚治虫先生の「メトロポリス」なんかでも描かれていますが、「鉄腕アトム」のシリーズのなかに組み込まれていることで、アトムの扱いがいかにぞんざいであるか、それに対して反抗するそぶりを見せずにいたアトムの機械的な従順さが際立っち、アトムがいる世界はちょっと異常だなぁと感じさせられるのです。「青騎士
」という異端が引き金にはなりましたが、アトムの世界ではロボットと人間の対立がいつ起きてもおかしくない状態であるように思えて、両者の間に立って抑止力となっているアトムが居なくなってしまったらすぐに崩壊してしまうような、危うい秩序の上に成り立っている社会であると思います。
 
愛ある主人公を取り巻く一見優しい世界に、はっきりと人間とロボットの境界が根付いていて、普段は巧みに隠されているけれどふとした拍子にあっさりと暴かれてしまう、結構怖い世界なんですよね鉄腕アトムの近未来。
 
アトムを人間的に扱う人もいれば、徹底的に奴隷的な財産として扱う人間もいて、それがアトムの味方に属する人間のなかでも混在している。また、アトムも多少の抵抗を覚えながらも、人間にものとして扱われることを受容している。あれだけ人間的で少年のように純粋な心をもって、人間に愛される姿をしていながら、あくまでも物として扱われている。それが当然のこととして回っているアトム世界はどこか気持ち悪くて、その中心にいるアトムを「異端の狂気」とよぶのも何となくわかる気がしたのでした。
 
青騎士」以前のアトムは、自律型人工知能を搭載し人間並みの自我を持っていながら、人間の不利益となるあらゆる思考を制限されている。考える力を持っていながら考える力を殺され、それを受け入れてなお人間のために無垢に生きていたロボットは確かに狂気であり、無生物の機械に考える力を与えながらそれをコントロールせざるを得なくなった狂気の体制、その発端を作ったお茶の水博士と天満博士は、何か禁忌の一線を越えてしまった異端であると言えるでしょう。
 
 
 
 
ネガティブな感想を長々と書いてしまったので、以下かわいいアトムと、アトムが大好きなヒゲオヤジ先生を貼り付けてバランスをとっておきます。
 

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ヒゲオヤジ先生は回を追うごとにどんどんアトム大好きになっていってて、とても良いです。

 

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アトムのことを心から人間的な存在として扱っている大人は、たぶんヒゲオヤジ先生だけです。アトムが悪役にこっぴどくやられて壊れてしまったときにも、心からアトムを心配しているのはヒゲオヤジ先生です。アトムの無事を確認して大喜びするのも、電子頭脳を入れ替えられたアトムにつきっきりで勉強を教えているのも、アトムを一人の人間的存在として深く愛しているからこそだと思います。

 

ヒゲオヤジ先生がこんなに愛されているアトムのことを、異端の狂気っていうのはちょっと言い過ぎなのかもしれません。