サガノヘルマー『BLACK BRAIN』:人体改造と五体満足の基準
サガノヘルマー先生の『BLACK BRAIN』は、肉体を改造し人を超越することに成功した「邪進化人類」と、ヒトの子孫である未来人類ヒテロ・サピエンスたちの戦い、それに挟まれる普通の人間の物語です。
ヒテロサピエンスのエージェント・アガサ森田は、邪進化人類が現人類ヒトを駆逐してしまうのを防ぐため、平凡なヒト・宮前カオルに第2の脳「受波脳(ジュパノー)」を埋め込み、邪進化人類を倒す役目を押し付けるところから話が始まるのですが、これだけでは意味が分からない気がするので少し細かく分けて書いてみます。
受波脳とは
「受波脳」は未来の脳みそで、思念体を飛ばして相手の脳内に潜り込ませ、身体イメージを組み替えて相手の神経・感覚を狂わせるという能力を持っています。
例えば「体が真っ二つになる身体イメージ」を植え付ければ、相手を傷つけることなく無力化できます。他にも「腕が割れるイメージ」「骨盤が無くなるイメージ」主人公は多様な感覚操作によって迫り来る敵を無力化していきます。
未来人類ヒテロとは
ヒテロは41世紀における人類、20世紀現人類ヒトから進化・派生したヌルヌル肌の未来人類です。彼らの世界ではヒトは自由意志を奪われた細胞資源として扱われており、道路や建物、スクーターなどの素材として使われています。
ヒテロは自分たちの進化の歴史が変わってしまわぬよう過去に干渉し、過去の人類から自分たち以外の主へと進化しようとしている「邪進化人類」を駆逐しています。主人公に「受波脳」を植え付けたアガサ森田は公的機関のエージェントです。
作中にはヒテロとは別の未来からやってきた無機質サイバー人類というやつもいて、ヒテロとサイバーによる過去改ざん合戦という体をなしていきます。
邪進化人類とは
「邪進化」とは未来人類ヒテロサピエンスが、自分たちの歴史に沿わない方向へ進もうとしている人類を指して使う呼称です。彼らは元は普通のヒトなのですが、捻じ曲がった欲望や性癖のために肉体改造の禁忌を犯し、人を超えてしまった存在です。
邪進化人間には自発的に肉体を改造したものもいれば、潔癖症、性欲、支配欲をサイバー未来人類に付け込まれて改造に踏み切ったものもいます。彼らはサイバー未来人類の祖先となる存在で、ヒテロとしては何としても駆逐したい存在であり、ヒトにとっても当然危険な存在です。
ヒトと未来人類ヒテロ、サイバー未来人類と邪進化人類の進化関係をデジモン的に言うと
ヒト(幼年期)…コロモン
ヒテロ(成熟期)…グレイモン
邪進化人類(成長期)…ベタモン
無機質サイバー人類(成熟期)…デビモン
みたいな感じです。グレイモンはコロモンを直系のアグモンへ進化させて自分の路線につなげていきたいのだけど、デビモンの策略でベタモンに進化する者が増えてしまい、ベタモンによるコロモン駆逐、惡ルートへの進化を阻止するため頑張っているみたいな。余計わかりにくくなった気がしますが、とにかくそんな感じです。
ややこしいタイムパラドックス的な設定と個性あふれる邪進化人類、非道徳な描写、決してうまいとは言えない絵も相まってとても面白いです。
特に倫理も糞もない非人道的人体改造…あまり人体改造・畸形とかが好きではない私でも一切の良心の呵責もなく楽しんで読めたのが不思議に思えたので、そのことについてさらに書いてみたいと思います。
邪進化人類の人体改造と、五体満足の意義
邪進化人類はとにかくグロテスクで生理的な嫌悪感をくすぐってきます。発生過程のグロさもさることながら、彼らは一様に異常なほど性欲が強く何かにつけて普通のヒトと交わろうとします。彼らはなぜか周囲の人間を性的に惹きつける力も持っており、次々に交渉しては仲間を増やしていきます。
外骨格人類は粘膜経由でウィルスを感染させる
粘土人類は股間に謎の振動器をつけ挿入されたちんちんをドロドロに溶かし性奴隷にする
彼らとかかわりを持ったヒトは肉体を取り返しのつかないレベルにまで改造され、それは老若男女、メインキャラ・モブキャラ問わず、いともたやすく行われます。
しかし改造されたヒトは特に悲観するでもなくあっさり順応し、邪進化人類としてたくましく生きるようになります。
例えばこの女子高生は、体が鳥型に変化してしまった邪進化人類に連れ去られ、肉体を改造されてメス型鳥人類として子供を孕まされます。しかし彼女は改造後すぐさま、ヒトであったことを忘れ邪進化人類としての本能に従って生き始めています。
交尾というか、ちょっと合体ロボっぽい
他にも、プラグをぶち込んだ相手をコントロールできるハイパーゲーム人類に肉体を操作され、野外露出させられたりホームレスを殴り殺させられたり、やりたい放題もてあそばれているこの女性も、良心の呵責が吹っ飛んでプラグをぶち込まれる性的興奮を楽しむようになります。
まぁなんというかそれなりに幸せそうというか、別にヒトとしての肉体を守って生きていくのが正解というわけでもないのかなぁなどと思えてくるのです。肉体が破壊される、改造され異形になってしまう事への恐怖というか、嫌悪感をあまり抱かない。
肉体改造・異形モノ、例えば駕籠真太郎や大越孝太郎漫画を読んだ時に感じるような、「肉体改造されて可哀そう」とか「もう人間に戻れない」みたいな、ヒトの標準肉体への未練みたいなものが、『BLACK BRAIN』には無いんです。
五体満足は唯一無二の完成形ではなく、カスタム前のティンペット的な感覚というか
誰が改造されようが、どんな姿になろうが、「すげぇ」以外の感情が湧かない。
とてもグロイのに、グロイものを見る時のあの申し訳なさを感じない。
純粋に楽しいグロって感じがします。
スプラッターが怖いのは
作中、人間がスプラッターを恐れる理由について、こんなことが言われています。
しかし、『BLACK BRAIN』では肉体が簡単に壊されることがそのまま恐怖へと結びついていない、五体満足であることの重要性が非常に低い、ように思えます。
それは未来人類ヒテロ世界の設定に如実に表れています。
そもそもヒトを生命ではなく、利用できる細胞資源として扱っている奴らのために人が働かされてるという構図自体、ヒトの尊厳をないがしろにしています。ヒテロに従えば、自由意思を奪われ資源として扱われる未来を迎える。従わなければ邪進化人類の餌になるか、改造されえ自らも邪進化人類となる。ヒトがヒトとして生きていく未来は提示されていない。むしろ邪進化人類に改造されて生きていく方が幸せかもしれません。
このヒテロは受波脳の修理屋で、ヒトの細胞をいじくって愛玩動物を作るのが趣味の変態
この人権や倫理観をどこまでも無視した設定のおかげで、スプラッターな肉体改造手術にも「痛そう」ぐらいの嫌悪感しかわかず、ショッキングで面白いものとして楽しめる妙な空気が生まれているのではないかと思います。
私はグロイもの苦手なんですが、時々怖いもの見たさというか、そういう漫画を読んでみたり、「メキシコ 治安」とか「ウクライナ21」とかで画像検索したりして、見た後に死ぬほど嫌な気持ちになって後悔したりしています。こう、単純にグロのショッキングさ、絵の面白さとか、エンタメ性だけを残したスプラッター・人体改造モノがあってもいいのではないかと感じているのです。グロイものを見るのは面白いんですが、必ず良心の呵責というか後ろ暗い感情が湧いてしまうので、もっと晴れやかな気持ちでとんでもなくパンチの利いたグロ画像を見て、「わぁグロイ!」ってなるようなものがあるといいなと
『BLACK BRAIN』は何の後ろ暗さもなく、普通の人間が肉体改造されたり畸形になっていくのを楽しめる、不謹慎な漫画だったという記事でした。