しろうのブログ

フィクションの話

『モッシュピット』:漫画の中の音楽の話

 

モッシュピット』という漫画が大変面白くて好きなのでその話をするのと、漫画の中で演奏される音楽について、思っていることなどを書きます。

 

 

モッシュピット』という漫画

 

モッシュピット(1) (ビッグコミックス)

 

モッシュピット』は自分に生き方に疑問を抱いていた主人公たちが音楽と出会って自分の破っていく、青春バンド漫画です。

 

主人公・金城千歳は落ちぶれた格闘家の息子で、高校生離れした屈強な肉体を武器に、地下格闘技界のチャンピオンとして本当の強さを探す日々を過ごしていました。しかし肉体的強さを極めた彼を前に太刀打ちできる敵はほとんどおらず、戦いに退屈さを感じるようになります。そんな中、地下格闘技と同時に音楽ステージが併設されたイベントが開催され、千歳はインディーズバンド「ジャイロ」のパフォーマンスを目の当たりにします。

 

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どれほどの強者を前にしても動くことの無かった彼の心が「ジャイロ」の音に滾り、自分の追い求めた肉体的「強さ」とは本当に価値あるものなのだろうかと、疑問を抱くようになります。自分が追い求めた強さとは、格闘技界を追放される前の輝いていた父親の強さであり、それは決して肉体的な強さとは関係ない、人間的な芯のようなものであった。落ちぶれて母にまで暴力をふるい、いつの間にか自分よりも弱くなってしまった、現在の父にはない強さ。それは何かのきっかけで失ったり衰えたりしない、もっと確固たる人間の強さなのではないかと、千歳の心は揺れていきます。

 

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そして改めて「ジャイロ」の壮絶な演奏を前に、自分の追い求めた「過去の父親」というまやかしの強さと決別し、自分の中に溜まったドロドロした強さへの渇望を、音楽という舞台で吐き出します。ジャイロとの出会いを機に、彼は音楽の世界で自分の強さを証明するためバンド活動を始めるようになります。

 

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モッシュピット』は音楽を機に自分たちの中に眠る熱い感情や、黒くて汚いものを外に吐き出していく、とても青春風味なバンド漫画で、時にライブをし時に不良高校に殴り込みをかけるような、とても楽しい漫画です。

 

 

山崎君の一音の話

モッシュピット 2 (ビッグコミックス)

 

千歳は北海道の高校に転校し、そこでいじめられっ子のギタリスト、山崎君と出会います。

 

山崎君は軽音部に所属するギタリストなんですが、部を支配するイケメン性悪男子から過酷ないじめを受け、クラスからも厄介者扱いされ、ろくに音楽活動もできず殻にこもって、卒業するまでの学生生活を耐えるように忍んで生きています。彼はかつて性悪イケメンの悪ふざけから、学園祭のステージに独りで立たされ衆目の前でゲロを吐いてしまったというトラウマを持っていて、ギターをやっていることすら、音楽が好きだということすら人前に出せず、根暗な生き方をして燻っています。

 

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千歳は偶然彼のアイフォンを拾い、その中に大量に録音されたギター練習音源を聴いて彼の音楽への熱い感情を知り、自分のバンドに入れようと何かと彼に絡むのですが、山崎君の心は固く閉ざされており突っぱねられてしまいます。

 

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 それでも千歳は彼の心の中にある音楽へのひたむきな精神を、自分がかつて格闘技に向けていたものに重ね、親近感を以て彼と接します。山崎君もまた異種の存在である千歳を拒みながらも、自分の音楽への熱を再認識させられます。

 

その直後、山崎君はまたしても性悪イケメン先輩の悪巧みに巻き込まれ、性悪イケメンのバンドのサポートギタリストとして無理やり学園祭ステージの上に立たされます。かつて山崎君がステージでゲロったことを知っている幼馴染の町田さんは、山崎君を心配して彼に忠告しますが、ここでもまた抑え込んできた山崎君の劣情が表に漏れ出てきます。

 

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他人のせいにして自分の本心を曲げて生きてきたことも、音楽だけでなく幼馴染に対して抱いてきた劣情も、それを抑えて鬱々と恨み節に生きてきた自分への腹立たしい感情へと変わり、彼の中に鬱積していきます。

 

そしてついに、学園祭のステージに彼が再び上る時が訪れます。そこは性悪イケメン先輩の独壇場ムードで、山崎君の脳裏にかつての悪夢がよみがえります。

 

 

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かつてのトラウマから足が震えて一音も弾くことができず立ちすくむ山崎君ですが、今までため込んできた劣情や、何からも逃げず自らの道を貫く千歳の姿を見た山崎君は、脚を殴り自分を奮い立たせ、ディストーションペダルを踏み、ついに自分の音を叩きだします。

 

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この時の山崎君のギターの音が最高にかっこよく感じられるのです。

 

山崎君がどんな音質の、どんな音量の、何のコードを引いたのかは、この絵を見ても分かりません。しかし、この時の山崎君のギターの音は、とてつもなくかっこいいものとして感じられたのでした。

 

 

 

 

この山崎君の話を読んで、漫画の中の音楽って基本音が聞こえないのに、どうやって自分は感動したりしなかったりしているんだろうかと不思議に思ったので、そのことについて以下自分の考えみたいなものを書いていきます。

 

 

 

漫画の中の音楽について

音楽を題材にした漫画はたくさんありますが、音楽を漫画の中で表現するというのは、とても難しいことなんだろうなと思っています。

 

漫画の中で演奏される音楽が素晴らしいものであるということを表現するには、いくつか手法があるように思います。その一つが演奏者・視聴者が音楽に触れることで感じている心象イメージを絵にし、聴覚の感動を視覚に変換する方法です。『ピアノの森』で一之瀬海君のピアノを聴いた観客が、彼が幼少時に過ごした森の爽やかな景色を思い浮かべていたのも、その例だと思います。これはグルメ漫画とかでもよくつかわれている気がします。食べ物の味というのも、どれだけ美味しそうなお肉の絵があっても、それを食べることはできないしそんな味がするのか、絵から感じることはできません。その美味しさを表現するために、食べ物に関連した何か別のイメージを使う必要があります。それは食べている人間の表情で伝えられるときもあるし、食戟のソーマや焼きたてジャパンのリアクション芸のように、美味しさを視覚という別の拡張子に変換したイメージで表現する手法で、読者は「絵の凄さ」≒「美味しさ」としてその感動を受け入れます。

 

しかしその手法は、音楽の中でも一部のジャンルにおいてのみ使えるものだと思います。クラシックやソフトポップやアンビエントなど、特に人間の言葉が介入しないインストルメンタルであれば抽象的なイメージを抱きやすい、視覚的なものにも変換しやすいと思います。一方歌詞が大量に入ってくる音楽、特にバンド形態のロック音楽に関しては、その音楽が想起させるイメージはあくまでも演奏者が演奏している姿、ライブ映像でしかないと思うのです。ロック音楽の中にも、抽象的なイメージを想起させる音楽というのは確かに存在しますが、それはプログレッシブロックと呼ばれたりメタルであったり宗教的であったり薬が絡んでいたり、曲作りに何かしらのコンセプトを以て作られた音楽です。音楽性がストレートであればあるほど、そこに抽象的なイメージの介入する隙はなくなっていきます。

 

音楽漫画の中でもバンド音楽を描いた漫画において、演奏される音楽はとても若々しくストレートな熱でもって作り上げられた、プリミティブなロックであることがほとんどです。『BECK』も『日々ロック』も、『ハレルヤオーバードライブ』も『無頼男』も、『シオリエクスペリエンス』も『モッシュピット』もドストレートに突っ込んでいくような青春ロックンロールを、彼らは演奏しています。

 

私はこれらの漫画はどれも大好きで、漫画の中で演奏される音楽に、あるいは演奏シーンに強く感動しているはずなのですが、抽象イメージの持ち辛い、音も聞こえない、メロディーもリズムも聴こえてこない、紙に描かれたロック音楽を私はどうやって感動しているのか、少し不思議に感じていました。しかし『モッシュピット』の山崎君の音は間違いなくかっこよかった。そのことでなんとなく、漫画の中のロック音楽に対する自分の中での楽しみ方のようなものが、固まったように思います。

 

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音楽の良さっていろいろな要素が絡み合って生まれるものだと思っているんですが、あえて分割するならメロディー・歌詞・音質・リズムなどの音楽的な要素と、演奏者に関する人間的な要素とに分けられるように思います。前者を漫画の中で表現することは難しいでしょう。抽象的なイメージを用いることのできないロック音楽ならなおさらです。

 

バンド漫画においてメロディーや技術、歌詞について言及されていても、その部分についてはどう頑張っても読み手には想像できないものなので必要ないのではないかと思っています。『BECK』の中で、彼らの楽曲について「人間の社会的進化について歌ってるんだ、面白い曲!」って説明してるシーンがあったんですが、その曲がどんな面白い歌詞なのか、メロディーなのか、私には想像できません。そもそも私に想像できる程度の歌なんてつまらないものだと思うんですが、読者の想像に任せるしかない要素を取り上げて「美しいメロディー」と言われたり「歌詞がエモい」と説明されても、それを感動として受け止めることはできないのです。

 

バンド漫画では大概ストレートなロック音楽が演奏される、しかしロック音楽には抽象的なイメージは当てはめにくく、彼らが演奏する音楽の凄さは何か別の指標でもって表現されていることになる。それはやはり音とは直接的には関係の無い、しかし音の魅力を説明するに足る、人間的な要素なのではないかと思います。こんな人生を歩み、こんな悩みを抱え、こんな精神状態でステージに上がったこいつが演奏する音が、かっこよくないわけがない。それはメロディーや音質など度外視した、特定の人間が作りだす音の波に対しての感動であって、凄い奴が作り出した波動拳は強いというような、そんな感覚に近いのかなぁと思いました。