しろうのブログ

フィクションの話

『CALVARY』

温厚で敬虔な神父が、信仰心が薄れつつある小さな社会で様々な悪意にさらされる

 
CALVARY Movie Trailer (2014) - YouTube

懺悔室で信者の告白を聴いていた神父が、謎の男から聖職者による性的虐待経験を告白され、神父を脅迫します。その男は、自分の不幸な人生に対する神への復讐として、位週間後の日曜日に神父を殺害すると宣言します。神父は彼の虐待経験に心を痛め、彼の不条理な要望に戸惑いながらも、神父としての救いある対応を模索します。

 

裁きの日曜日までの神父の行動と葛藤を描いた物語です。

 

悩める者に対しては誠実に対応し、歪んだ罪を犯すものを観れば必ず咎めに行く神父さんは、キリスト教の律する戒をその身で体現する偉大な人物です。何より彼の発言は通り一辺倒に聖書の教えを説くものでもなく、彼自身の経験と思慮深さから生まれたとてもウィットに富んだ言葉であり、彼は間違いなく、街の中で最もよくできた人物なのです。

 

しかし、そんな彼のことを住人達はあまりよく思ってはいない、どちらかというと煙たがっていて、それは不良高校生が熱心な担任教師を嫌がる感じにとても似ています。

 

村の住人達は皆、それぞれ異質でキリスト教的戒律に反する精神を抱えて生きています。悪びれる様子もなく多くの男性と不倫するマゾ夫人、夫人が不倫を始めてから生活が穏やかになったを喜ぶ変態亭主、人の死に多く接するあまり笑えないブラックジョークばかり話すようになってしまった外科医、女性と上手く話せない鬱屈と破壊衝動抑えきれず、軍隊に入ってそれを利用・消化しようとする青年、などなど…

 

彼ら皆、今の自分が道徳的に間違っていることに気づいていながらも、それを直そうとしません。どれだけ神父が彼らに説教を解いても、その言葉を真っ向から受け入れることがありません。むしろ住人達は神父の過度な敬虔さに辟易して、「信仰に意味などない」とあざ笑うようになります。境界に火事が起きた時でさえ誰も消化しようなどと思わず、ただ興味本位ではたから見ているだけであった。

 

たしかに実際に神父さんが住人達にできることと言えば、目に痣を受けた不倫夫人を問い詰め、浮気の相手を見つけ忠告したり。突然の交通事故で夫を失った夫人の心を祈りで癒すこと、後発的で、対処に過ぎず、大きく何かを変えることはない。

 

自分の非を認めながら、いろんなものに目をつぶりながら生きている住人達にとって、真っ当な生き方をする神父の説教はひどく耳が痛いものでしょう。彼らはどこかで自分たちの罪を洗い流したいと思っているかもしれない、しかし長く自堕落に生きてきた人間にとって、自分の非を認め神父のように真っ当に生きることはとてつもなく難しい。

 

住人達もそのことにとっくに気づいているように見えます。

 

彼らはドラッグを神父の目の前で服用し、セクシャルで破廉恥な姿を神父に見せる。どこまでもキリスト教を、彼のことを馬鹿にし、自分の生き方を変えることはない。警察官でさえ、同性愛的行為を神父の前で隠さない。

 

一方で神に仕える身である神父さんは、彼らのそんな態度に人間としての苛立ちを隠しきれなくなる。遂には住人の目の前で大酒を食らい、口論の末に殴り合いになってしまいます。同じ教会に努めるケチな司祭にも暴言を吐いて、逃げられ一人になってしまう。

 

神父として住人たちを諌める存在であった主人公が、一人のただの嫌われ者になってしまった。謎の男が主人公を殺しに来る日曜日に、彼はどのような行動をとるのか。その行動は神父としてか、人としてか。

 

住人によって神父の鎧がはがされていく過程、神父⇔人間という二つの立場・精神の間で揺れ動く主人公の葛藤が非常に味わい深く、現代に残るキリスト教義の役割のようなものを感じられる映画でした。

 

 


Calvary Official Trailer #1 (2014) - Chris O'Dowd ...